重陽節
Re: 重陽節
カレンダーをのぞいて見た。たしか日本にもあったよな、って。香港男 wrote:来週の月曜日は中国の祭日だ、中国語で(重陽節)と言う。その時、人々は、山に登って、先祖をあがめる。日本では、その祭日があるの?僕の家族はその日に行かないことにする、そこはおおぜいの人があるから。しかし、俺達はもう行った。香港では、先祖をあがめてから、一緒に祭りの食べ物を食べるのに慣れる。そうすれば、色々な事は幸運になるそうですね。
やはり30日<重陽>とある。
でも、一般的な行事じゃないような・・・。
というか、宮中で「観菊の宴」がある--というニュースを聞くぐらいかな?
普通、おうちで何か行事をするってことは、聞きませんよね?
山に登る・・・というのも日本では聞いたことないかな??
どうでしょう、jingshangさん、guguanさん、みなさん。
香港男さん。
A.僕の家族は-- 僕達はもう行った
B.俺の家族は-- 俺達はもう行った A or B どちらかに統一するといい。
一緒に祭りの食べ物を食べるのに慣れる--->一緒に。。。。食べる習慣がある。
你的日语越来越好呢
重陽節 調べてみたら、こんなでした。。。
中国猫的同学们,你好!
香港男さんとiDogさんに啓発されて、重陽節のことを調べてみたんです。
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重陽(ちょうよう)とは五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。陽の極が2つ重なることから、大変めでたい日とされた。
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。しかし、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。
昔の中国では、上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実がついた枝を身につけたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛けるということが行われた。
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そして、もう一つ。
<香港の伝統と文化>というサイトから。
この日はハイキングの日でもあります。重陽節は漢代(紀元前220年~220年)の伝説に基づくお祭りで、当時の易者が漢代のウーン王に「陰暦の9月9日に一家揃って高所に登りなさい」と忠告し、王が言われた通りにして戻ってみると、一家が住んでいた村の人や動物は皆殺しに遭っていた、というのです。
現在でも重陽節の間、故事にならって高地に行く人は少なくありません。
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え?ホント??って感じのお話ですよね。
知らなかったデス・・・香港男さん。
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我寻找这样的汉诗(中文叫古诗?)。这首诗,大约800年代的日本人吟的。跟王维同样时代的人物呢?
他的名字是《菅原道真:すがわら みちざね》,他被称为‘学问的大王’日本人之间非常有名的。
我觉得他和王维两个人都孤高总觉着有点像。 ↑(添削おねがいします。)
重陽日、府衙小飲 重陽の日、役所でささやかな宴を開く
秋来客思幾紛紛 秋になってからというもの 旅人の思いはどれほど入り乱れることか
況復重陽暮景〓 まして 重陽の夕暮れともなると(わびしくてやりきれない)
菊遣窺園村老送 (重陽節に用いる)菊は庭を覗いた村の老人が送ってくれ
萸従任土薬丁分 茱萸は地元で産出するので薬草園の職員が分けてくれる
停盃且論輸租法 (菊酒を注いだ)盃を止めて(風流な話もせず)租税の徴収方法についてひとまず議論し
走筆唯書弁訴文 筆を走らせて (詩を作ることなく)ただ判決文を書く
十八登科初侍宴 十八歳で試験に合格し(て文章生となり) 初めて(重陽の)宴に侍ったが
今年独対海辺雲 今年はひとり海辺の雲に向かい合っている
九日、偶吟 (九月)九日、たまたま詩を詠む
客中三見菊花開 赴任中(この讃岐の地で)三度菊の花が咲くのを見た
只有重陽毎度来 (宮中での宴に参加しなくても)重陽だけは毎年やって来る
今日低頭思昔日 今日うなだれて昔の日々を思うと
紫宸殿下賜恩盃 紫宸殿で(帝から)恩盃を頂いたのであった
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王維さんも、道真さんも今から1200年も以前に、重陽節にあたって
こんな詩を詠んでいたんですね~。(日本語訳文は、むずかしいかなぁ、ちょっと )
重陽節の中身にしても、知らないで通り過ぎるところでした。(私だけか、知らないのは )
香港男さん、iDOGさん
よい勉強をさせていただきました
非常感谢!!!
香港男さんとiDogさんに啓発されて、重陽節のことを調べてみたんです。
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重陽(ちょうよう)とは五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。陽の極が2つ重なることから、大変めでたい日とされた。
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。しかし、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。
昔の中国では、上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実がついた枝を身につけたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛けるということが行われた。
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そして、もう一つ。
<香港の伝統と文化>というサイトから。
この日はハイキングの日でもあります。重陽節は漢代(紀元前220年~220年)の伝説に基づくお祭りで、当時の易者が漢代のウーン王に「陰暦の9月9日に一家揃って高所に登りなさい」と忠告し、王が言われた通りにして戻ってみると、一家が住んでいた村の人や動物は皆殺しに遭っていた、というのです。
現在でも重陽節の間、故事にならって高地に行く人は少なくありません。
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え?ホント??って感じのお話ですよね。
知らなかったデス・・・香港男さん。
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我寻找这样的汉诗(中文叫古诗?)。这首诗,大约800年代的日本人吟的。跟王维同样时代的人物呢?
他的名字是《菅原道真:すがわら みちざね》,他被称为‘学问的大王’日本人之间非常有名的。
我觉得他和王维两个人都孤高总觉着有点像。 ↑(添削おねがいします。)
重陽日、府衙小飲 重陽の日、役所でささやかな宴を開く
秋来客思幾紛紛 秋になってからというもの 旅人の思いはどれほど入り乱れることか
況復重陽暮景〓 まして 重陽の夕暮れともなると(わびしくてやりきれない)
菊遣窺園村老送 (重陽節に用いる)菊は庭を覗いた村の老人が送ってくれ
萸従任土薬丁分 茱萸は地元で産出するので薬草園の職員が分けてくれる
停盃且論輸租法 (菊酒を注いだ)盃を止めて(風流な話もせず)租税の徴収方法についてひとまず議論し
走筆唯書弁訴文 筆を走らせて (詩を作ることなく)ただ判決文を書く
十八登科初侍宴 十八歳で試験に合格し(て文章生となり) 初めて(重陽の)宴に侍ったが
今年独対海辺雲 今年はひとり海辺の雲に向かい合っている
九日、偶吟 (九月)九日、たまたま詩を詠む
客中三見菊花開 赴任中(この讃岐の地で)三度菊の花が咲くのを見た
只有重陽毎度来 (宮中での宴に参加しなくても)重陽だけは毎年やって来る
今日低頭思昔日 今日うなだれて昔の日々を思うと
紫宸殿下賜恩盃 紫宸殿で(帝から)恩盃を頂いたのであった
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王維さんも、道真さんも今から1200年も以前に、重陽節にあたって
こんな詩を詠んでいたんですね~。(日本語訳文は、むずかしいかなぁ、ちょっと )
重陽節の中身にしても、知らないで通り過ぎるところでした。(私だけか、知らないのは )
香港男さん、iDOGさん
よい勉強をさせていただきました
非常感谢!!!